資料の御案内
資料の御案内などと堅苦しく書いておりますが、そんなに大層なものではございません。
つまらん書評ですがごゆるりとどうぞ。
CONWAY'S ALL THE WORLD'S FIGHTING SHIPS 1860-1905
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著者:Robert Gardiner、Roger Chesneau、Eugene M.Kolesnik、他
出版:MAYFLOWER BOOKS, INC.(米)
原著版元:Conway Maritime Press Ltd.(英)
発行:1979年
軍艦を扱う人間の間では『コンウェイ』とか『Conway』で通じてしまうほど有名な軍艦図鑑。私が持っているのはどうやらアメリカ版のようですが。
題名の通り、1860年から1905年に建造された軍艦を扱っています。要するに弩級戦艦と前弩級戦艦を区分するためにこういう年代を扱っているのでしょうが、おかげで都合良く日露戦争時の艦艇を漏らさずに調べることが出来ます。まあ、弩級戦艦の出現自体が日露戦争の影響を如実に受けているわけではありますが。
イギリスやアメリカといったメジャーな海軍の艦艇だけでなく清国やノルウェー、果てはハワイ王国やハイチといったマイナーな海軍の艦艇すら網羅されています。もちろん、戦闘用カヌーみたいなものは掲載されていませんが。調べようもないでしょうし。「全世界の全戦闘艦図鑑」と銘打っておりますがその名に嘘偽りなしと見てもよろしいのではないでしょうか。李氏朝鮮(および大韓帝国)なんかは無視されてますけども。一隻ぐらいあったはずですが。あと、潜水艦は完全にスルーです。
説明は短いのですがきっちり書かれております。単なるスペック表と写真と図面だけ要するにここの日露戦争の軍艦図鑑みたいなもののことですな、というわけではありません。難点としては英語で説明が書かれているというところですが。でも、英和辞典を片手に知らない艦艇のことを紐解くのも一興だと思いませんか?
価格面では、普通に1万円以上はするのですが軍艦に興味のある人は買っても良いかもしれません。シリーズになっていて1860-1905、1906-1921、1922-1946、1947-1995の4冊があるようです。日本では下手をすると2万円ぐらいになるものもあるのですが、個人輸入すれば8000円ぐらいで購入できる場合もあります。
ちなみに写真の左下の乾電池はラスプラタの写真にもご出演いただいた単三電池です。この本の巨大さが実感していただけるかと。
(2010/12/11)
著者:セミョーノフ
訳者:『海軍』編輯局
発行:明治44年8月1日〜明治45年7月31日
備考:全11巻
著者のウラジーミル・イワノヴィチ・セミョーノフはもともとクロンシュタット港司令長官の副官を務めていましたが、明治37年1月末に旅順艦隊の防護巡洋艦『ボヤーリン』の副長に任命されます。しかし彼が旅順に到着した時には既に『ボヤーリン』は味方の敷設した機雷に誤って触れて沈没した後でした。
結局、彼はまず駆逐艦『レシテルヌイ』(前任のコルニリエフ大尉は程なくして奉天で病死)の艦長に任ぜられますが、直ちに仮装巡洋艦『アンガラ』の副長、次いで防護巡洋艦『ディアーナ』の副長に就任しました。『ディアーナ』の副長として黄海海戦に参加しましたが敗北、『ディアーナ』はフランス領インドシナのサイゴンに逃走し抑留されます。
サイゴンからロシアへ宣誓帰国した彼はロジェストヴェンスキー提督の幕僚としてバルチック艦隊の遠征に参加します。旗艦『クニャージ・スヴォーロフ』に乗り組んで日本海海戦に参加します。なお、宣誓帰国は中立国に抑留された軍人が「戦闘には参加しない」と言う宣誓をしてから本国に帰還するものですので、彼がバルチック艦隊に参加したのは明らかな国際法違反です。ただ、日本の方にも宣誓帰国違反をした斎藤七五郎海軍大尉や島崎保三海軍中尉らの例もありますのであんまり声を大にして言うことは出来ないのですが。
それはさておき、乗艦が大破した(後に撃沈)ため彼はロジェストヴェンスキー提督とともに駆逐艦で脱出、そして結局は捕虜となってしまいます。
彼が書いたのは捕虜生活と帰国までらしいのですが、この本は残念ながら日本海海戦の直前までしか描いておりません。しかし、日本ではなかなか目にすることの出来ない旅順艦隊の記述がある時点で、すでに貴重な一級資料であるとも言えます。
横に置いた単3電池を見ていただければ分かるように、この「ラスプラタ」はいわゆる袖珍本です。いくら袖珍本だからと言ってもすでにボロボロですので、ポケットに雑に放り込もうものならたちまちバラけてしまいそうではありますけれども。
ただ内容の濃さから言うと、わざわざ袖珍本にするよりは普通のサイズの本にして欲しかったところではあります。いちいちページをめくらないといけないし、全11冊という量から察していただけるとは思いますが、読みにくくてたまらないので。
ついでに一つ。訳者が「海軍編輯局」ではなく「『海軍』編輯局」となっているのですが、もしかすると海軍内の組織ではなく『海軍』という雑誌か何かがあったのかと想像してみたり。所在地は日本橋区兜町二番地だそうですが、謎ですな。
しかし英語では新刊が多く発行されているのにも関わらず、日本では百年前のこの本を最後に邦訳されていないというのが日本人の日露戦争への興味の無さを象徴しているような気がします。とりあえず、誰か新訳を出してくれませんかねえ。(2010/12/01)
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